MONTHLY FEATURES 今月の特集

老舗飲食店から見る今と昔 久留米ノスタルジー

老舗飲食店から見る今と昔 久留米ノスタルジー

この地で創業し長年にわたって商売を続ける老舗は、私たちの街・久留米と共にどんな歴史を辿ってきたのだろう。
決して平坦な道のりではないその長き歩みと、今なお変わらず愛される魅力に迫った。

激動の時代を経て130年

平成23年の九州新幹線開通を機に、福岡市のベッドタウンとしても人気が高まるここ久留米。まずはこの街の移ろいに想いを馳せてみようと、久留米市市民文化部文化財保護課の本田さんにお話を伺いこれまでの市の歩みを辿った。当時の写真を見ながら、ノスタルジーに浸ってもらえれば嬉しい。
明治22年の市政施行時に誕生し、令和元年の今年で130年。久留米市は戦前からの市町村合併、空襲と水害からの力強い復興によって人口30万人を超える中核市へ発展を遂げてきた。
久留米空襲で市街地一帯が焼け野原と化し、そこからようやく街を立て直してきた矢先に昭和28年西日本水害が再び久留米を襲った。そんな過酷な情勢の中かろうじて生き残った建物は、市の歴史的建築物となっている。なかでも日吉町にある赤煉瓦造りの[ルーテル久留米教会]は、今年3月に九州現存最古のヴォーリズ建築として国の登録有形文化財に登録するよう答申が出され話題となった。

久留米の今と昔

さて、市の玄関口・JR久留米駅に孔雀がいたことを覚えているだろうか。実は昔、久留米にも動物園があった。戦災後の子どもたちの遊び場として三本松公園内にできた無料の[久留米市動物園(鳥類センターの前身)]だ。そこで孔雀が飼われ、街のシンボルにしようと〝千羽計画〟がスタート。ついに千羽達成した昭和40年に駅で公開され、駅改修の平成18年まで約40年にわたり〝孔雀の駅〟として親しまれていた。
東の玄関口・西鉄久留米駅周辺はというと、昭和44年に西鉄大牟田線の高架工事が完了し、翌年に一番街のアーケードが完成。奥に続くあけぼの商店街は129もの商店が軒を連ね、市一番の賑わいを見せていた。[久留米シティプラザ]が建つ場所はその昔、久留米初のデパート[旭屋]だった。昭和37年に我々が馴染みのある[井筒屋]へ。屋上遊園地で遊び、レストランでお子様ランチを食べたという人も多いはず。
近くには市内初のスーパー[そごうストア]や、[大勝館][ことぶき館][大映]といった映画館も点在。戦前から遺る[みずほ銀行(旧第一銀行)]そばの本町交差点は、信号機がなかった頃はロータリーが設置され、〝本町ロータリー〟と呼ばれていたことをどれだけの人が知っているだろうか。
今特集では昭和30年代後半〜現在にスポットを当て、久留米の時代変動による酸いも甘いも知る老舗の店主たちにお話を伺った。

11月30日より[くるめりあ]5階で戦後以降の市の歩みをテーマにした「むかしのくらし展 久留米市誕生2」が催されるので、そちらもぜひ!


1960過去 ▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎ 現在2019

久留米市動物園
三本松公園(現在)
西鉄久留米駅
西鉄久留米駅(現在)
井筒屋
久留米シティプラザ(現在)

1960過去 ▶︎▶︎▶︎▶︎▶︎ 現在2019

Kurume History
1960(昭和35年)
あけぼの町アーケードが完成
1962(昭和37年)
デパート旭屋が久留米井筒屋として再出発
1964(昭和39年)
久留米市動物園が廃園し、久留米市鳥類センターが開園
1972(昭和47年)
西鉄久留米駅東口に米城ビルが完成し、久留米岩田屋が開店
1989(平成元年)
市政100周年を記念して久留米百年公園が開園
1994(平成6年)
久留米市役所の新庁舎が完成
2005(平成17年)
久留米市・三井郡北野町・三潴郡三潴町・三潴郡城島町・浮羽郡田主丸町の1市4町が合併
2008(平成20年)
特例市から中核市へ
2016(平成28年)
久留米井筒屋・六角堂広場跡地に久留米シティプラザが開館
2019(令和元年)
市政130年

参考文献 ◆カメラがとらえた久留米の100年実行委員会(1989)『私の街 私の時代』 ◆大矢野栄次(2009)『ふるさと久留米 久留米市制施行120周年記念写真集 保存版』 郷土出版社


明治22年創業。
久留米空襲を乗り越えて

360有余年の問屋街。当時は肩が触れ合うような賑わいであったこの界隈に、久留米市と同じく今年で130年を迎えた菓子店がある。「この店も一度は空襲で燃えてしまいました。父が20代の頃で、イチからの再建は大変な苦労があったと思う。今はめっきり人通りが減ったこの辺も昔は絣商人がぞろぞろ通っていて、すごく賑わっていたんですよ」。そう言いながら、4代目店主の石橋信次さんが古いアルバムを見せてくれた。
そこに写る創業者が作った「甘酒まんじゅう」は、今なお店のショーケースに並ぶ。甘酒作りに欠かせない米麹が入手しにくい時代もあり、そのたびに試行錯誤しながらより美味しく、よりふわふわになるように改良も加えて代々作り繋いでいる伝統の饅頭だ。「私は祖父や父の甘酒まんじゅうを食べて育ち、息子は私の作るチーズまんじゅうでこんなに大きくなったんですよ」。

店の名物となった「チーズまんじゅう」

東京の洋菓子店に就職した信次さんは、後継ぎになることを決意して昭和47年に帰郷。店で饅頭を作る傍ら、洋菓子の経験を見込まれて数々の料亭から依頼されたウェディングケーキの制作に追われることに。「あの頃は料亭で結婚式をする人が多かったから、次々と注文がきてね。15年くらいかな、二足の草鞋を履いて寝る間も惜しんで働きました」。
時代と共にケーキの仕事が終わりを迎え、店の新商品開発に躍起になっていた時に耳に入ってきたのが、宮崎の菓子店で話題になっていたチーズ饅頭だった。宮崎まで味を確かめに行き、「これだ!」と確信。ただ、これより美味しい物でなければ意味が無いと、暗中模索の末に完成させたのが昭和59年。和洋折衷の菓子は珍しく、受け入れられるまでに3年かかった。「青年部のポスターに〝私の宝物〟としてチーズまんじゅうが選ばれ、掲載された時は本当に嬉しかった」。

創業者の萬太朗さん
商人の町として栄えていた頃の[萬榮堂]
チーズを使った名物の「チーズまんじゅう」と、マカダミアンナッツ・アーモンド・バターが香る風味豊かな久留米銘菓「くるめん棒」

伝統の技と味を後世へ

久留米の土産物を作るのが夢だった信次さんは、ついに「くるめん棒」でその夢を叶えた。久留米市商工会議所から商品開発を任され、久留米銘菓の称号を与えられたのだ。それでも「和菓子職人としてはまだ半人前」と話す職人気質の信次さんの次に控えるのは、京都で修業を積んだ息子の英樹さん。今年[萬榮堂]では、手間がかかると長年作っていなかった「小丸芳露」の販売を再開した。初代の明治・大正時代から継承する伝統の技法と味を自分の代で途絶えさせてはならないという使命感が生まれ、5代目に受け継いでいる。
また、将来を担う子どもたちに商売の面白さを伝える試みで平成21年から始まった「あきない祭り」では、毎年和菓子作り体験を実施。真剣な眼差しで練切りに夢中になる子どもたちを温かく見守っている。

御菓子司 萬榮堂  ☎ 0942-32-2837
[所]久留米市中央町15-30
[営]9:00〜19:00
[休]なし※臨時休あり
[P]近くに有料Pあり

若い世代にも親しまれる店に

昭和8年におでん屋から始まり、割烹を経て今の生業となった[中華うどん 一平]。当時、外食は主婦の手抜きと思われていたため少し奥まった場所の方が入りやすいだろうと、旧紺屋町からあけぼの商店街に店を移してかれこれ60年になる。
「ゴム産業が盛んな頃は女工さんたちが西鉄電車まで帰りござって、ここらは人が行き来するのが大変やったとよ。井筒屋が閉店してしまって一時はご近所さんしか通らんくなったけど、久留米シティプラザができたでしょう。それからは若い方が多くなって、スマホで調べてお出でになる外国の観光客も増えたね」。

懐かしの中華うどんを求めて

十数年振りの客も次々と訪れ「懐かしか〜」と注文するのが、名物の「中華うどん」。デパート帰りの奥様方には豚骨ラーメンは臭うし脂っこいからと、中華麺にアッサリしたうどんスープを合わせ、初代が完成させたものだ。「ここらでは〝ベレー帽のおじいちゃん〟って有名やったとよ。頭が柔軟で、それでいて絵が上手でね。店にもよう飾ってて、それを見に来るお客さんも多かった。家族には優しいのに、なぜかネギを残すお客さんには厳しかった(笑)」。
2代目の周三さんに代わって、現在店を切り盛りするのは息子の和弘さんだ。店主が2代目3代目となるにつれて常連客も親から子、子から孫に。祖父母と通った店として世代を超えて愛され続ける[一平]は、懐かしい〝あの頃〟を思い出させてくれる場所でもあった。

昭和50年代の店内
創業50年を迎えた昭和58年の新聞記事
鰹節が香る上品な和風スープと細い中華麺がよく合う「中華うどん」
中華うどん 一平  ☎ 0942-39-5151
[所]久留米市六ツ門町21-1
[営]11:00〜20:00
   
(OS19:45)
[休]火曜
[P]近くに有料Pあり

昭和の生き残り喫茶

創業は[久留米岩田屋]と同じ昭和47年。喫茶店ブームの昭和50年代、この界隈には喫茶店が5軒あった。なかでも最も古い画廊喫茶[来目館]が数年前に看板を下ろし、今は井上さん夫婦が営むここ[グレープ]のみ。マスターの賢司さんは昔をこう振り返る。
「私が初めて通った喫茶店は文化街にあった[クリスタル]。中学生の頃で、当時は西鉄久留米駅の東口側には店と呼べる店があんまりなかったから、駅の向こう側に遊びに行くのが楽しみでね〜」。

今も昔も変わらない喫茶店らしい喫茶店

東京の大手レストランチェーンでカフェの立ち上げに従事していた賢司さんは、有名ホテルに勤めていた照代さんと結婚。夫婦で久留米に戻り、祖母が昔旅館を営んでいた木造の自宅で好きだった喫茶店を開いた。昭和62年にビルに建て替えたが、変わらずこの場所で営業を続けている。
趣味の旅行で集めた外国の絵皿などを飾った昭和の香り漂う素敵な店内。そこには、いつもの席でいつもの珈琲とトーストを注文する品のいい老婦人の姿が。こうした常連客は何人もいる。「岩田屋のおかげで東口も人が増えて、うちにも岩田屋の外商さんとか近くのJAの従業員さん、あとは学生さんもよう来てくれてね。あの頃はお客さんも若かったけど、今じゃその常連さんたちも私らと同じ60、70代よ(笑)」。
そんな長年の常連客に愛されるメニューが、創業から味を一切変えていない「牛弁当」。ご飯の上にぎっしりと敷き詰められた細切りの牛バラ肉は、一度茹でこぼして余分な脂を落としており、意外にもサッパリ味わえる。食後はマスターが淹れる珈琲を頂くのがお決まりのコースだ。

一軒家時代の庭には屋号にもなっている葡萄の木があった
子どもの入学記念に店の前で撮った昭和50年代の写真
「牛弁当(600円)」と「すみやきブレンドコーヒー(350円)」
Cafe de グレープ  ☎ 0942-32-2351
[所]久留米市東和町5-7
   パッセージビル1F1
[営]9:00〜21:00
[休]日曜
[P]有(2台)