MONTHLY FEATURES 今月の特集
小京都 秋月を歩く
久留米から小一時間ほど車を走らせ秋月街道を進めばそこは、かつて秋月城の城下町として賑わった朝倉市秋月。
背後に鎮座する古処山、江戸時代の面影を残す多くの町家と清らかな野鳥川が織りなす風景は、まさに「筑前の小京都」。
歴史に思いを馳せながら、いざ、ゆるりと春のさんぽへ。
千年を超える秋月の歴史
標高862mの古処山の麓、小さな盆地に築かれた秋月の歴史は思いのほか古く、992年の「石清水文書」に「秋月」の地名が登場している。なんとも風流なこの地名にどんな由来があったのか定かではないが、その後1203年に鎌倉幕府から秋月を賜った大蔵氏が大宰府より移り住んできた際、名字を秋月と称するようになったとされる。 中世のこの頃、まさに戦乱の世。都からは遠く離れていながらも、大陸との関わりがあり重要視された九州にあって、秋月氏は浮き沈みが激しい情勢に翻弄されながらこの地を治めた。幾度となく存亡の危機が訪れるが、なかでも有名なのが1587年の豊臣秀吉による九州征伐の際の史実だ。 16代当主・種実の頃、秋月氏は薩摩の島津氏と手を組み、筑後一帯を治める九州北部の雄として勢力を拡大した。そこへ九州平定を目論む秀吉が現れ、種実は島津氏とともに迎え撃つことを決意。スパイとして送り込まれた重臣の恵利内蔵助暢堯は秀吉が20万余という大軍を率いていることから勝機がないことを悟り、種実に降伏を諫言した。断固として聞き入れない種実に、内蔵助は妻子を道連れに切腹をしてまで強く訴えたという。結局種実は2万余りの兵のみで陣を構え、秀吉軍の強さに圧倒されてたった1日で降伏した。内蔵助が切腹した場所には大きな「腹切岩」があり、悲劇の象徴として今も語り継がれている。秋月氏はその後、秀吉より日向高鍋に移るよう命じられ、秋月統治は17代で終焉を迎えた。
黒田氏が整備した町並みそのままに
時は過ぎ江戸時代に入ると、関ケ原の戦いの功績により黒田長政が福岡藩の初代藩主となり、長政の遺言により秋月周辺の5万石が三男の長興に与えられたことで秋月藩が誕生した。長興の叔父・直之が建てた「梅園」を改修して秋月城を構え、城下町を整備。今も残る武家屋敷や町割り、町家、水路などができたのは、この頃だ。 1784年、7代藩主として家督を継いだ長堅は15歳という若さで逝去してしまう。大名や藩主は将軍に御目見する必要があったが果たせず、また妻子もなかったため、御家断絶の危機に見舞われた。が、秋月藩はこのことを隠して跡継ぎを立てることを画策し、翌年に日向高鍋藩主であった秋月種茂の次男を8代藩主・長舒として迎えた。長舒の叔父は名君の呼び声高い米沢藩主・上杉鷹山で、長舒は鷹山の治世を大いに参考にしたという。秋月の玄関口にある「目鏡橋」を造り、養蚕や和紙・葛などの産業を積極的に取り入れた功績が、秋月の暮らしの礎となっている。 明治の廃藩置県によって黒田氏12代の統治は幕を閉じ、城下町は当時の名残を随所に残したまま今に至っている。苔の蒸した石垣や茅葺屋根が暮らしの中に息づく秋月。千年を超える歴史と今が地続きであることを感じながら、ゆっくり歩きたい。
3エリアを歩いて秋月を味わい尽くす
秋月の町を大きく分けると、秋月城跡を中心とした歴史エリア、商人たちが暮らした町家エリア、お寺が多く代々の黒田藩主たちが眠る寺エリアがある。
当時の暮らしに思いを馳せながら歩けば、秋月の魅力が一層味わえる。
Historical area
歴史エリア
秋月城は初代・黒田長興が叔父にあたる直之の屋敷を増改築して居城としたもので、現在秋月中学校の木造校舎がある場所にあった。城郭としての機能が簡略化された、陣屋形式の城だったという。石垣、堀、門など多くの遺構があり、黒田氏の暮らしに触れられる場所だ。
SPOTA
杉ノ馬場
かつてここに杉の大木があり、代々藩主が通る御成道であったといわれる。藩士たちが馬術の稽古をした場でもある。1905年に日露戦争の勝利を記念して桜が植えられたため、春は花スポットとして賑わう。
SPOTB
黒門
秋月氏が古処山に築いた古処山城の裏門であったものを、黒田氏が秋月城の大手門として移築した。現在は長興を祀る垂裕神社の神門として、数多くの観光客が訪れる名所となっている。
SPOTC
長屋門
秋月城の裏手門で、現在の秋月城跡で唯一当時の位置のまま残っているもの。「雛めぐり」では、この1段1段に雛人形が展示される。
- 古都秋月 雛めぐり
- 3/6までの土日で、長屋門に無数の雛人形がずらり。久野邸などのスポットにも展示されるので訪れてみて。※予定は変更になる場合あり
Temple area
寺エリア
町家エリアの北側には寺や墓地が多く、凛とした空気感を放っている。恵利内蔵助暢堯が切腹したという伝承の場所「腹切岩」、黒田氏の代々藩主が眠る墓や、日本最後の仇討事件として知られる臼井六郎が眠る墓などが点在している。様々な人間模様に触れながら歩きたい。
SPOTD
臨在宗 古心寺
黒田氏の初代・長興が父・長政を偲んで建立した黒田家の菩提寺。臼井六郎の墓も。
☎ 0946-25-0491 [所] 朝倉市秋月757
SPOTE
浄土宗 大涼寺
徳川の出で、長興の母である大涼院を祀っており、随所に葵の紋が施されている。
☎ 0946-25-0900 [所] 朝倉市秋月722
SPOTF
曹洞宗 長生寺
種痘の始祖である秋月藩医・緒方春朔、秋月の乱の首謀者宮崎三兄弟の墓がある。
☎ 0946-25-1881 [所] 朝倉市秋月野鳥792
Machiya area
町家エリア
城跡から少しだけ離れたこのエリアは、主に商人たちの住まいがあった場所。間口が狭く奥に長い町家が軒を連ねており、昔のまま残っているものも多く、城下町風情を感じることができる。手すき和紙の工房や雑貨店、カフェなどもあるので、覗いてみるのも楽しい。
SPOTG
目鏡橋
長い間ここには木橋がかかっていたものの、大雨で流されたり腐ったりを繰り返していた。長崎警備を担った8代藩主・長舒が、長崎の石工を招き木橋の4倍近い費用を投じて築いたこの石橋は、200年経った今でも秋月の暮らしを支えている。
SPOTH
廣久葛本舗
江戸時代後半、8代藩主・長舒が財政再建のために取り入れてから秋月の名産品となった葛。200年続く老舗[廣久葛本舗]では九州に自生する天然の葛を使用しており、丁寧に手作りする昔ながらの製法にこだわっている。築250年を超える町家を利用した店舗でおやつを楽しむのもおすすめ。
☎ 0946-25-0215 [所] 朝倉市秋月532 [営] 8:00~17:00(OS16:30) [休] 無 [P] 有
SPOTI
秋月武家屋敷 久野邸
黒田藩に仕えた上級藩士の屋敷として後世に遺すべく、保存・展示されている武家屋敷の1つ。秋月に残る武家屋敷の中でもひときわ広大で格式が高く、古処山の眺望や四季折々の花が咲き誇る庭園も見事。
さんぽの後のお楽しみ!
秋月のぜひモノ4選
古処山の豊かな自然、清らかな水に恵まれる秋月。
この地で丁寧に育まれた美味しさもぜひ味わってみよう。
1余計なものは使わない、
真摯に手作りされた絶品ピザ
加熱殺菌前の新鮮な生乳で作る主人特製のチーズを存分に味わえるように、と建てられたピザ小屋。イタリア産小麦と天然酵母、秋月の水だけで作ったピザは、素材の味がダイレクトに感じられる。食通たちが足しげく通う美味しさを、ぜひ体験してみて。最新の情報は店舗に問い合わせを。
- チーズ職人とピッツァ なかむら
- ☎070-8352-4352[所]朝倉市秋月野鳥435-2[営]11:00~16:00※なくなり次第閉店/夜は要予約[休]月~木曜[P]有
◀︎週替わりのチーズケーキ 420円~
2ありのままの自然に育まれた
古処鶏の魅力を、余すところなく
朝倉の自然の中でのびのびと平飼いされた地元の「古処鶏」を炭火でじっくりと焼き、6種の自然塩やにんにく柚子胡椒、鶏みそなど豊富な調味料から好みのものを添えて頂く。弾力ある肉質は噛むほどに味わい深く、旨味が存分に堪能できる。濃厚なコクの鶏スープや具沢山の鶏釜めしなども、ぜひお試しを。
- 梟の響キ いろり蔵
- ☎0946-25-0020[所]朝倉市秋月679-6[営]11:00~18:30※夜は応相談[休]水曜[P]近くに有料Pあり
◀︎炭火鶏釜めし 850円
3沢の音を聞きながら頂く、
蕎麦の実そのままの味と香り
蕎麦の実を皮ごと手で挽いた「田舎玄そば」は、喉越しが良く蕎麦本来の味がしっかり感じられると人気で、県外からも人が多く訪れる。季節の野菜を使った色彩豊かな前菜からは、ご主人の真心が伝わってくるよう。窓の外には秋月の自然、店内には囲炉裏がある空間で、ゆっくりと時間をかけて味わいたい。
- 御蕎麦 ちきた
- ☎0946-25-1775[所]朝倉市秋月野鳥182-1[営]11:00~13:30(OS13:00)[休]火曜、第3月曜[P]有
4山紫水明の秋月で
やさしい美味しさに癒されて
地元朝倉でできたフクユタカを濃厚な豆乳にし、大豆の甘味とコク、滑らかな舌触りをそのままに仕上げたオリジナルの豆腐が名物。岩手産青大豆、北海道産黒大豆の豆腐もあり、3色を食べ比べると味の違いがしっかりわかる。店内での食事もでき、帰ってからのお楽しみとして持ち帰るのもおすすめ。
- 秋月とうふ家
- ☎0946-25-0839[所]朝倉市千手115-3[営]10:00~16:00(OS14:00)[休]月曜[P]有
◀︎左から柚子胡椒 540円、豆腐のたれ 320円、ロザリオの塩 390円