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今さらだけど...河童って何者?

今さらだけど...河童って何者?

久留米と何かと繋がりのある、河童。
でもその実態を知っている人はさほど多くはない。
幾つもの河童にまつわる昔話や伝承が残されていて 妖怪のような、お化けのような、茶目っ気もある不思議な存在。
久留米に点在する河童の痕跡を、まじめに探ってみた。

久留米に河童の伝説があるのはなぜ?

河童は相撲好きで、相手が大人でも子どもでも相撲を取りたがるとか、どんな傷でも元のように治せる「河童切傷創膏」があるとか。久留米に伝わる昔話には河童にまつわるものが実に多い。どの話にも共通するのは、いたずらや酒が好きだったり、居眠りをしていて頭の皿がすっかり乾いてしまったり、義理堅くて人間臭くて、どことなく愛嬌のあるキャラクター像だ。
とはいえ、今知られているような河童のキャラクター像が形作られたのは、江戸時代の中頃だと言われている。昔から川や水の精霊のような生き物が全国各地で言い伝えられてきており、河太郎、川虎、みづちなど様々な呼び名で古い文献にも登場している。昭和2年に芥川龍之介が『河童』を発表すると、河童という呼び名が全国的に知られるようになった。
筑後川流域でも、豊かな水を利用した農業が発展し、農作物やその加工品を取引する商人たちが航路で往来するようになった。筑後川やその支流は、当時の人の暮らしの舞台そのものだった。河童にまつわる伝承が多く残っているのも、それだけ川と人の暮らしが密接だったということだろう。

水と暮らす人々の水神・河童

九州一の大河である筑後川は豊かな恵みをもたらしてくれる一方で、度々水難事故や氾濫がおこる大変な暴れ川だった。一夜にして川底の流れが変わる「一夜川」という異名もあるほどで、その人知を超えた自然の力への畏怖の念は、この地域の水神信仰へと繋がる。水難除けの神として全国で祀られる[水天宮]の総本山が筑後川のほとりにあることは、必然ともいえるかもしれない。
久留米の河童にまつわる昔話のなかで、いくつかは河童伝説としてよく知られている。中でも代表的な「九千坊」という河童の親分は、筑後川へ移り住んで[水天宮]の守護役になったそうだ。人の「尻小玉」を抜いて殺したり、いたずらに人や馬を水に引き込むなど、恐ろしい面もある一方、水難事故や水害から地域を守ると約束する河童たち。その姿は、ある時は豊かな恵みであり、ある時は脅威である、川そのものなのかもしれない。

参考文献 「田主丸町合併50周年記念誌 楽しく生まる 田主丸ん本」

河童伝説を紐解く

田主丸
頭目・九千坊河童かしらめきゅうせんぼうかっぱ

久留米市の中でも、ひときわ河童との繋がりが深い田主丸。
実は、九千坊の伝説よりも昔から存在している不思議な謎がたくさんあるのをご存知だろうか。

川ん殿かわんどんさま

 田主丸の唐島地区の[祇園神社]にある高さ30㎝ほどの木像は、昔から「川ん殿様」と呼ばれてきた。
吊り上がった目は宇宙人を想起させ、笑ったような表情や体つきもどことなく奇妙だ。この木像と共に受け継がれる木札には、「若くして田主丸で溺死した侍の霊が悪さをしたので、ここに申若大明神さるわかだいみょうじんとして祀って霊を鎮めた」とある。
同じように志床しどこの[熊野神社]にも川ん殿様と呼ばれる木像があり、こちらがその大明神だという説もあるが、どちらも数百年も昔のことで記録がないため真偽は不明のまま。いずれにしても、田主丸で千体近くも存在する河童像の中で、最も古い河童だといえそうだ。

田主丸河童

芥川龍之介の『河童』を愛読した作家・火野葦平は、「鯉とりまーしゃん」や河童伝説に魅せられて、昭和16年以降、度々田主丸を訪れた。自身の小説でも田主丸の人々を描いており、田主丸が河童の町として知られるきっかけにもなった。
葦平を囲んで地元の有志が結成した「河童族」は昭和30年代に11人で始まり、集まって陽気に酒を吞んだり、祭りを主催したり、九千坊にちなんだ河童九千体を町に置こうと考えた、河童伝説の立役者だ。
ひばり川の欄干を中心に置かれた千体を超える河童たちは、遊び心あふれる表情で今も河童巡りコースの来訪者を楽しませている。現在も河童族は、2・3代目の世代が受け継いで活動している。

寒さと食糧不足を苦に中央アジアから移ってきた河童の一隊を率いた「九千坊」。九千匹の仲間を従え、1600年以上も昔に熊本の球磨川に住み着いたそうだ。
江戸時代に入り、肥後熊本藩の藩主・加藤清正が可愛がっていた小姓の尻小玉をいたずらに抜いて、殺してしまった。このことに激怒した清正によって九千坊一族は追放され、筑後川に流れつき、久留米[水天宮]御祭神の守護役となった。だから[水天宮]には瓢箪守ひょうたんまもりや河童みくじがあるというわけ。
幕末に有馬家が江戸に水天宮を祀ったのに合わせて九千坊も一旦は江戸に移ったが、九千匹という河童たちのいたずらが手に負えず、有馬家に許しを得て食糧が豊富な筑後川に戻ってきたそうだ。

[大石神社]にある九千坊河童像

ばばんせどん

田主丸の[月読つくよみ神社]内にある[馬場瀬ばばのせ神社]は、九千坊の本拠地として「ばばんせどん」と呼ばれ、地域の人に親しまれている場所。田主丸の開祖である菊池丹後入道が自分の屋敷にあったものを1640年に馬場に移し、1767年に現在の場所に社殿を作ったという。
ここには水神である罔象女命みずはのめのみことの素朴な木像があるが、その左右には沙悟浄と九千坊が脇を固めているといわれる。さらに、その前列には河童に化身したといわれる平清盛とその妻の二位尼にいのあま。なぜ5体がこのように並ぶのかは不明だが、この謎めいた存在も、田主丸での河童信仰がいかに広がっていたかを物語っているようだ。

左から、沙悟浄、平清盛、罔象女神、二位尼、そして九千坊

田主丸
巨瀬入道こせにゅうどう

田主丸を流れる巨瀬こせ川にも伝説が。1675年に書かれた久留米藩の地誌「北筑雑藁ほくちくざっこう」によれば、平家の大将・平 清盛が巨瀬川の蛇渕という地に住みつき、「巨瀬入道」という名の河童になったという。
伝説によれば、年に1回、妻の二位尼と蛇渕じゃぶちで会うとなると大洪水が起きた。田主丸の子どもたちは「蛇渕に寄ったら巨瀬入道に引かれるぞ」と言われていたが、今は石碑が残るのみ。[馬場瀬神社]にも平 清盛像があるが、なぜここに平清盛の伝説が多く残るのだろうか。

[田主丸総合支所]近くに、「巨瀬入道鎮魂蛇渕の跡」が残る

北野天満宮
河伯かっぱ

これは田主丸の伝説より古く、900年頃の話。
右大臣の要職を追われた菅原 道真が西へ西へと逃れる途中、大分・中津から筑後川を下って北野へ流れ着いたという。上陸した際に追手に襲われたが、間一髪というところで助けに入ったのが河童だった。そのとき河童は片手を切り落とされてしまったため、道真公は感謝を込めて[北野天満宮]にて河童の手を丁重に葬り、大宰府までの旅を続けた。今でもその手は宝物として保管されているが、木箱には河のわらべではなく神を意味する「伯」の字を使い、畏敬の念を表し「河伯の手」と記してある。

※「河伯の手」の一般公開はしていません

河童の魅力を知ったあなたに
河童グッズもあるってよ

かっぱのマカロン

3個 600円

河童の表情がたまらないマカロンは、田主丸の人気フレンチレストラン[restaurant Spoon]オリジナル。数量限定なので品切れゴメン!

カパテリア
☎ 0943-72-5225 [所] 久留米市田主丸町田主丸1015-2 JR田主丸駅構内 [営] 10:00~17:00[休] 火曜 [P] 有

かっぱマスク

大人用・女性用・子ども用・幼児用

各1,100円

みんながマスクをしている今、これならあなたも今日から河童! サイズが豊富だから、家族お揃いで着けてみて。

カパテリア
☎ 0943-72-5225 [所] 久留米市田主丸町田主丸1015-2 JR田主丸駅構内 [営] 10:00~17:00[休] 火曜 [P] 有

田主丸河童族オリジナルTシャツ

M、L、XL

各1,800円

河童族メンバーがデザインしたTシャツは[カパテリア]でしか買えないレア物! これを着れば少々のいたずらは見逃してもらえるかも。

カパテリア
☎ 0943-72-5225 [所] 久留米市田主丸町田主丸1015-2 JR田主丸駅構内 [営] 10:00~17:00[休] 火曜 [P] 有

かっぱラーメン

味噌、塩、醤油、豚骨、トマト

各210円、トマトのみ250円

明治33年創業の老舗が厳選小麦と清き水で作る昔ながらの即席めん。味のあるイラストだけでなく、麺ののど越しがクセになる美味しさ。[道の駅うきは]や[みのうの里]で販売中。

(有)熊谷商店
☎ 0943-75-2700 [所] うきは市吉井町富永1916-19
[営] 8:00~17:00 [休] 土日祝日 [P] 有

焼酎 河童九千坊

(各720ml/アルコール度数25度)

写真左から
本流(麦焼酎) 1,100円
ふくおかのこめ(米焼酎) 1,265円
ふくおかのいも(芋焼酎) 1,375円
ヴィンテージ2010(麦焼酎) 2,145円

田主丸の焼酎蔵が味と地産地消にこだわって造った焼酎は、その名も河童九千坊。心地よい香りとキレのある飲み口で、ロック・水割り・炭酸割りがおすすめ。

紅乙女 耳納蒸留所
☎ 0943-72-1050 [所] 久留米市田主丸町益生田270-2
[営] 9:00~17:00  [休] 水曜  [P] 有