アイデンティティーを守る。
- 矢部屋 許斐本家 十四代代表取締役
許斐 健一 Kenichi Konomi - 1975年八女市生まれ。五代目久吉の長男に生まれ、2014年に[矢部屋 許斐本家]を継承。「八女茶 許斐久吉六代目シリーズ」が第16回福岡県デザインアワードにて奨励賞を受賞。趣味は古民家カフェめぐり。
歴史ある八女の茶商の
家に生まれて
九州最古の茶商として暖簾を守り続ける[矢部屋 許斐本家]。その走りは宝永年間(1704~1711)、初代・甚四郎が近隣で採れる山産物の商いを始めたことから。取扱う品にはお茶も含まれていたという。
幕末、八代・寅五郎が茶商部門を譲り受けて分家し、当時はまだ珍しかったという茶の専門問屋を創業。その息子である九代・久吉の名が、現在まで引き継がれる許斐本家当主の雅号となっている。と言うのも、12年連続で農林水産大臣賞を受賞したことで〝日本一のお茶〟とも称される八女伝統の本玉露の技術革新に寄与し、今では世界に知られる「八女茶」の名付け親であるからだ。
そんな「久吉」の名を六代目として継承したのが許斐 健一氏。だが、3人兄弟の長男として生まれ育ったものの、子どもの頃はまったくお茶に関心がなかったとか。
「そもそも飲んでなかったからですね(笑)。でも、私はこの家の歴史に興味があったんです。先祖が八女茶に尽力してきたという話を聞くと、なんとかここを残していかなければという想いを抱くようになりました」
家業に勤しみながら、許斐氏はそれまで漠然としていたという許斐本家の来歴を紐解くことに傾倒。それは長い歴史を積み重ねてきた許斐本家の今を担う者として、その存在意義を探る作業でもあった――。
自信を持って続けるために
許斐家の歴史はあまりわかっていなかったのですか?
許斐祖父は戦前の歴史を語り継ぐことなく亡くなり、父もあまり関心がなかったのか、きちんと伝わっていませんでした。私も家が古いことだけは知っていたのですが、郷土の歴史を調べまして、その中で昔のことがいろいろわかってきたんです。
どんな歴史があるのでしょう?
許斐江戸時代、当家は元々山産物問屋でお茶もその一つでした。また当時は儒者や医師もしていて、四代目の養八の頃は久留米藩儒の合原 窓南という儒学者が、享保8年、八女に隠居し、近くの農家や商家の子息に教えていたのですが、養八は合原 窓南の高弟として共に学び、後に雲山と号して医師をしていたそうです。江戸時代は儒者は医師を兼ねる者も多く、お茶も薬として扱われていて、そういうことをやってきて、今の商売に繋がっているとわかったわけです。
許斐さんにとってその歴史はどんな意味を持つのでしょうか?
許斐自分の家なのに知らないことだらけで、自分なりに理解しておきたかったんですよね。ここにいる意味っていうか、自分の原点を知りたくて。商売においても今のご時世、商品棚に置いておけば売れるとかじゃもちろんないですから。商売の価値というか、モノの価値を追求していくという意味では、モノの存在意義をきちんとわかっていないと。自分の売っているモノを知って、自信を持って売りたいからですね。
許斐本家さんは「八女茶」の名付け親でもあるんですよね。
許斐先祖は〝誠実に茶を売る〟という理念の元、地域と向き合い、日本茶の前時代的な「釜炒り製茶」から江戸中期に発明された当時の最先端である「蒸し製緑茶」に製造技術が変わったタイミングで、「筑後茶」という名称を「八女茶」に変えることに努めました。地域をまとめることは並み大抵の努力ではなかったと思います。私自身もその努力に報えるよう生きていきたいと思います。
未来を見据えながら
許斐さんの代でこちらの7棟の建物が八女市文化財に指定されてますね。
許斐ここは江戸時代の終わりくらいの嘉永年間から安政年間に建てられたそうです。2階の広間は明治38年に作られた接待所なんですが、昭和初期には満州、台湾、朝鮮、パラオ、あとはカリフォルニアなど日系人のいる国へ輸出していて、貿易商の人をここでもてなしていたようです。天井には木目の美しさを活かす「摺り漆」を塗っています。百年以上の年月が経ち、紫外線が当たって白っぽくなっているんですよ。壁の濃い緑色は広川町に流れる広川の砂の色なんです。あそこには緑泥片岩がいっぱいあるから。川の砂を漆喰に混ぜてるんです。
維持していくのは大変では?
許斐そうですね。金銭的に難しいところもあるのですが、なんとか残していかないといけないと思い、文化財の指定を受けました。今も裏の蔵を改修していて、常にどこかを修理している感じですね。これから私がやっていくべきことも建物のことに尽きるかもしれません(笑)。
でも、許斐さんは先のことまでしっかり考えてらっしゃるようです。
許斐目先だけで物事を考えると、その先には後悔が付きまといます。先のことをしっかり考えて最善を尽くせば、後悔は少なくて済みます。例えば、建物を単に直すだけじゃなくて、歴史をフィードバックしながら直すよう心掛けています。手間はかかりますが、そうすることでどういう風に建物がここまで残ってきたのかを調べ、それがアイデンティティーに繋がります。結果、当時の人々の想いや魂を引き継ぎ、残していくことができるのです。
結局、この家の存在意義に繋がっていくんですね。
許斐地域の歴史を伝えていくことと、自分たちのアイデンティティー、そういったものを残していくことが、みんなが豊かに暮らせる一つの力になっていくと思います。
矢部屋 許斐本家
☎ | 0943-24-2020 |
---|---|
[所] | 八女市本町126 |
[営] | 9:00~18:00 |
[休] | 第3日曜※ほか臨時休あり |
[P] | 有 |