人生の先輩にお話を聞きに行きます! オトナ空間

フジタバレエ研究所 藤田 美知子・藤田 瑠理子・中島 亜紗子

内面から美しく。

フジタバレエ研究所 主宰
藤田 美知子 Michiko Fujita
1949年久留米市生まれ。1969年、父・藤田さだを氏が創立した舞踊研究所を引き継ぐ。それから50年以上の長きに渡り、バレエを通して子どもたちの情操教育に励む。
フジタバレエ研究所 ダンサー・講師
藤田 瑠理子 Ruriko Fujita
1987年久留米市生まれ。藤田 美知子氏の姪。3歳よりバレエを始め、15歳より3年間ロンドンにバレエ留学。数々の舞台に立ちながら、教室で講師を務める。
フジタバレエ研究所 セクレタリー
中島 亜紗子 Asako Nakashima
1981年久留米市生まれ。藤田 美知子氏の長女。幼稚園教諭を務めた後、[フジタバレエ研究所]に入所。セクレタリーとして子どもたちのバレエ生活を支えている。

久留米で3代に渡り
〝バレエ道〟を受け継ぐ

「戦争が終わって、今から日本を新しく作らなきゃいけないというときに、大事なことは幼児教育と芸術だって。父はそう思ったみたいです」
藤田 美知子氏が品良く朗らかに話す。父・藤田さだを氏は、中国の青島で音楽教師を務めていた。そこでドイツ人から舞踊を学び、美知子氏が生まれた1949年、久留米で舞踊研究所と幼稚園を創立。その後、弟と2人でそれぞれ父の意思を受け継いだ美知子氏は、73年目を迎えた前者のバレエ教室を主宰する。
4人の子どもを育てながら生徒の指導に努めてきた美知子氏。「父からもらったバトンを次に渡すのが務め」と、責任を果たすべく期待を寄せるのが、娘の中島 亜紗子氏と弟の娘である藤田 瑠理子氏だ。
瑠理子氏は幼い頃からバレエを学び、15歳からロンドンへ留学。想像を超える厳しい鍛錬を積み、帰国後はプリマドンナを務めるなどダンサーとして活躍しながら指導に励む。一方、亜紗子氏は足が不自由だったためバレエに関わることを長らく拒んできた。しかし、子どもが好きだったことから幼児教育に惹かれ、今では教室の運営に携わって生徒たちに深い愛情を注いでいる。 彼女たちが大切にするのはレッスンに留まらない心の教育を根本とした〝バレエ道〟。親から子へ、子から孫へ、受け継がれる想いに迫った。

バレエを通して心を育てる

〝バレエ道〟って初めて聞きました。どんなものですか?

美知子バレエ教室と言っても、わたくしのところでは茶道や華道と同じ道のりのひとつなのです。例えば、スタジオに来て靴箱にきれいに靴を入れて、階段に埃が落ちていたら拾ったりするんですね。きれいな花を見て、もし枯れてたら摘むとか。そういうことを大事にしてるので、フジタバレエではバレエができる生徒さんが一番じゃなくて、内面が素晴らしい子が一番なんです。

バレエを通して内面を教育されているんですね

美知子そうです。日本人としての季節感も大切なので、必ず季節のものをスタジオに飾ってます。父は特に「日本を大事にしなさい」が口癖だったんで、毎月の日本の行事も大事にしてまして。それから、スタジオでは昔から個人アルバムを作っていて、毎月、日頃のお稽古の写真を撮ってあげて、ご家族からの手書きのメッセージを必ず添えてもらってます。両親からこんなに愛されて育ったんだって生徒さんに感じてもらえたらと。

ご家族も喜ばれるでしょう。

美知子ご家族の方もとっても楽しみにしてらして。お母様方のフォローは欠かせないですね。学校の悩みをお聞きしたりすることもあります。

学校の悩みと言うと?

亜紗子生徒さんの様子を見ると、もやもやしてるんだろうなって、何かあったんだろうなってわかるんですね。お母様に確認したら、やっぱり学校でお友達とトラブルがありましたって。私は何も聞いてないことにして、生徒さんになんとなく「この頃どう?」って話しかけて、何か言ってくれるのを待つんです。

美知子学校は好きじゃないけどバレエは好きという子も多いんですよ。

心の拠り所になってるんですね。

亜紗子私は生まれつき足が悪くて。叔父の幼稚園に就職したとき、叔父から言われたんですが、例えば鉄棒で前回りがなかなかできない子がいたとき、先生たちは「絶対できる」と教えて聞かせるけど、できない子の気持ちが本当にわかるのはあなただよねって。バレエも同じですぐに上手くできる子となかなかできないと言うか、壁にぶつかる子がいて、そんな子たちに寄り添えるようになりたいなと思ってます。

そういう風に味方してくれる人がいることは励みになると思います。

美知子大勢の生徒さんの内、半分以上は5ヶ年以上続けてくれてます。バレエを続けたということが違う困難なことにぶつかったとき、力を発揮できるんじゃないかと思うんですね。だから、一度フジタの門をくぐった方はいつまでもフジタの子よねって(笑)。

繋がれるバトン

たくさんの子どもに慕われて、こんなに長く続いているんですね。

美知子もう73年の歴史があるので、今は卒業生がお母さんになって、そのお子さんが通ってくれています。コロナの前の時代にはもう戻らないと思うので、2人にはフジタの理念は守りつつ、やり方は変えていきながら続けてもらいたいですね。

瑠理子私も大事に続けていくべきことと、進化していくべきことがあると思ってます。私が生徒だったときと同じことをしても伝わらないので。今は毎回のお稽古でこんなことをしましたというメールや写真をその日の内にお母様に送ったりするんですね。昔ながらのアルバムや手紙と今ならではのツールと、うまく使い分けるようにしてます。

経験を積み重ねて、進歩されていることもあるのではないかと。

瑠理子私も母親になってから、生徒さんにこういう声の掛け方をしようとか、こう言われたらお母様も嬉しいだろうなとか思うようになりました。生徒さんに楽しかったと帰ってもらえるように、ご家族には習わせて良かったと思ってくださるように、どうしたら良いか常に考えて、教師と意見を出し合ってます。

美知子やり方はわたくしの方がもうついていけなくて、どうしたら良いのか2人に聞いた方が参考になることもありますね。ですから、わたくしの持つバトンを若い人に渡そうと。もうちょっと握ってから(笑)。

2人まだこれからも走り続けてください(笑)。

フジタバレエ研究所

フジタバレエ研究所
フジタバレエ研究所
0942-38-1483
[所] 久留米市通外町166-13
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